ピックアップ記事
【東長崎・南長崎の謎】借地権が多い理由は?2つの名家「足立家・岩崎家」から紐解く街の成り立ち

🏘️ 街の謎・沿線トリビア|東長崎・南長崎

東長崎で家を探すと、「借地権」という言葉を意外とよく見かけませんか?

そして街を歩いていると、昔からこの土地に根を張ってきた地主・家主の存在が、今の街並みにもつながっていることに気づきます。

なかでも地域の歴史をたどると名前が出てくるのが、足立家岩崎家。この記事では少しキャッチーに「2大巨頭?」と呼びつつ、噂話ではなく、公開資料で確認できる範囲だけを整理してみます。

1923年関東大震災後の東京駅前に集まる人々
1923年の関東大震災後、東京駅前に集まる人々。東長崎そのものの写真ではありませんが、震災後に東京の人口移動が加速した時代背景を伝える歴史資料です。 Public Domain
出典:Wikimedia Commons
先に結論:「借地が多い理由」は、関東大震災だけではありません。

東長崎周辺はもともと農村地帯でした。そこへ1915年の鉄道開通1923年の関東大震災後の郊外化が重なって住宅地へ急速に変化。先祖代々の土地を売らず、貸地・貸家として活用する地主経営が残ったことが、今も借地権物件を見かける背景の一つと考えるのが自然です。

🌿 足立家 9代続く地主・家主の家系

東長崎で9代続くと紹介される地主・家主の家系。

現在は足立知則さんが「東長崎ぐらし」を通じ、古い物件を再生しながら街の新しい店や居場所づくりにも関わっています。

🏠 岩崎家 南長崎に残る歴史ある旧家

南長崎の清戸道沿いに歴史ある岩崎家住宅が残る旧家。

落合南長崎駅前のアイテラス落合南長崎は、公開資料で岩崎不動産株式会社がディベロッパー・発注者として確認できます。


1|南長崎の街角に残る「岩崎家」の存在感

トキワ荘通りから南長崎4丁目付近を歩くと、今の住宅街の中に昔の長崎村の面影を感じさせる建物があります。その一つが岩崎家住宅です。

豊島区商店街連合会の散歩コースでは、岩崎家住宅を「旧長崎村字五郎窪の旧家」と紹介。清戸道沿いで肥料や糠を商っていた家で、江戸末期の建物を1918年に同じ様式で再建したとされています。

街歩きでは「昔の長崎村の景色」を探してみる

現在は住宅が並ぶ南長崎ですが、清戸道沿いにはこうした旧家の姿が残っています。現代の住宅街の中に、昔の長崎村の歴史を感じさせる建物が混ざっているのが、この周辺を歩く面白さの一つです。

アイテラス落合南長崎にも「岩崎」の名前

落合南長崎駅直結の商業施設「アイテラス落合南長崎」は、建設会社イチケンの実績紹介で発注者=岩崎不動産株式会社、日本ショッピングセンター協会の資料でもディベロッパー=岩崎不動産株式会社と確認できます。

つまり「岩崎」という名前が、南長崎の古い街並みだけでなく、現在の大型商業施設の開発にも登場するのは事実です。

ここは噂と事実を分けます。
「アイテラスの土地が現在も岩崎家個人の所有」「三菱財閥の岩崎家と関係がある/ない」といった点は、今回確認した信頼できる公開資料だけでは断定できません。そのため、この記事では会社の開発実績と旧家として確認できる歴史までに留めます。

スポンサーリンク

2|9代続く足立家は、いま「街を編集する地主」へ

もう一方が、東長崎で9代続くと紹介されている足立家です。

地主・家主向け専門誌の取材で、足立知則さん自身が「兄と私の代で9代目」「もともと農家だったようです」と語っています。足立家は貸し宅地や賃貸住宅を持ち、昔ながらの地主・家主業を続けてきました。

ただ貸すだけではなく、「行きたい場所」を自分たちで増やす

足立知則さんは2020年に株式会社東長崎ぐらしを設立。築古物件の取得・再生、不動産賃貸に加え、宿泊施設・シェアキッチン・カフェの運営にも取り組んでいます。

東長崎駅近くの人気カフェMIA MIA(マイアマイア)も、足立さんが古い物件を活用して借り手を探した流れの中で生まれた店の一つ。古い建物を全部壊すのではなく、街に必要な店へつなぎ直すという発想です。

さらに豊島区の空き店舗活性支援事業では、足立さんが東長崎を得意地域とするコーディネーターとして掲載されています。地主という立場を、街づくりの実務へ広げている点が今の足立家の面白いところです。


3|では、なぜ東長崎には「借地」が目立つのか?

ここがこの記事の本題です。

以前の記事では「関東大震災が直接の理由」と書いていましたが、調べ直すと、もう少し段階を分けて考えるほうが正確でした。

西武池袋線東長崎駅から江古田方面を見た景色
現在の東長崎駅から江古田方面を望む景色。東長崎駅は1915年に開業し、街の住宅地化を考えるうえで重要な存在です。 CC0
出典:Wikimedia Commons / Asanagi
🌾 もともと

現在の豊島区西部は、江戸・明治から大正にかけて野菜を東京市中へ供給する農村地帯でした。長崎村では大根・なす・きゅうりなどが知られていました。

🚂 1915年4月15日

東長崎駅が開業。 鉄道によって池袋・都心方面へ出やすくなり、郊外住宅地としての条件が整い始めます。

🏚️ 1923年

関東大震災。 豊島区公式史では、震災が郡部への人口流入に拍車をかけ、市近郊の本格的な市街地化が進んだと説明されています。

🏡 1920~30年代

農地や牧場だった場所に住宅が増え、長崎村は1926年に長崎町へ。旧地主の土地も、農地から宅地・貸地・貸家へ役割を変えていきました。

ポイントは「土地を売らずに、貸す」という選択。

足立家のように、現在も貸し宅地が残る家系があることからも分かるように、旧地主が土地そのものを手放さず、借地として利用してきたケースがあります。鉄道+震災後の人口増+旧農地の宅地化+貸地経営が重なったことが、東長崎周辺で借地権を目にしやすい背景と考えるのが無理のない説明です。

「東長崎は借地ばかり」とまでは言えません。
今回、東長崎・南長崎だけを対象にした最新の「借地率」の公的統計は確認できませんでした。したがって、この記事では不動産市場全体の割合を断定せず、歴史的背景として説明しています。
🏠 家探し目線|「借地=悪い物件」とは限らない

借地権物件は土地の所有権そのものを購入しないため、所有権付き物件より取得価格を抑えられる場合があります。 国土交通省も定期借地住宅のメリットとして、土地取得コストを抑えられる点を挙げています。

一方で、地代や契約期間、更新の有無、建替え・売却時の条件などは物件ごとに違います。東長崎で実際に購入を検討する場合は、「安いかどうか」だけでなく借地契約の内容まで確認するのが大切です。


4|貸家が多い街は、若い芸術家を受け入れる街にもなった

長崎地区の宅地化で興味深いのが、昭和初期に形成された長崎アトリエ村です。

豊島区の資料によると、1931年の「すずめが丘アトリエ村」を皮切りに、要町・長崎・千早周辺へアトリエ付借家群が広がりました。豊島区史では、安価な家賃のアトリエ付借家に若い画家や彫刻家が集まったことが紹介されています。

借地・貸家文化と「芸術の街」は、つながりはある。でも一直線ではない

以前の記事では「借地だったからトキワ荘が生まれた」と強く結びつけていましたが、これは少し言い過ぎでした。

確実に言えるのは、農村から住宅地へ変わる過程で、長崎地区に安価な借家やアトリエ付借家が増え、若い創作者を受け入れる土壌ができたことです。

その後、南長崎には1952年にトキワ荘が建ち、手塚治虫、藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら若いマンガ家が暮らしました。

「昔の地主と貸家の街」から「アトリエ村」「トキワ荘」、そして今のカフェやクリエイターの街へ。形は違っても、外から来た人が小さく始められる場所を受け入れてきたという流れは、東長崎・南長崎らしさの一つかもしれません。


街歩きのマナー
岩崎家住宅や、足立家が関わる物件などには、現在も居住・営業の場として使われている場所があります。道路から見学する範囲にとどめ、私有地への無断立ち入り、生活や営業の妨げになる撮影、大声での会話は避けましょう。

東長崎で歩きながら見るなら、ここに注目

北側・東長崎駅周辺

MIA MIAなど、古い建物を生かしながら新しい店へつなぐ動きに注目。

「昔からの地主の街」が、現在進行形でどう変わっているかを感じられます。

南側・南長崎周辺

岩崎家住宅、トキワ荘通り、アイテラス落合南長崎を歩くと、旧家・昭和文化・現代開発が近い範囲に並びます。

100年単位の街の変化を歩いて見比べられるエリアです。

管理人あき

管理人・あきのひとこと

東長崎で物件探しをするとよく目にする「借地権」。最初は「ちょっと複雑そうだな」と思っていましたが、調べてみると見え方が変わりました。昔は畑だった土地に鉄道が通り、震災後に人が増え、土地を売らずに「貸す」形も使いながら住宅地が広がっていったんですね。

その後、この地域には安価なアトリエ付き借家が生まれて若い芸術家が集まり、のちにはトキワ荘の文化へと続いていきます。もちろん「借地だからトキワ荘が生まれた」と単純には言えませんが、人を受け入れる貸家の街だったことは、この地域の文化を考えるうえで面白いポイントです。今もMIA MIAのように古い物件を新しい店へつなぐ動きがある。昔の不動産の仕組みと今の街づくりが、どこかでつながって見えるのが東長崎の奥深さだと思います。


まとめ|「大地主がいる街」だけでは説明できない、東長崎の面白さ

① 岩崎家は、南長崎に歴史ある旧家の住宅が残り、アイテラス開発では岩崎不動産の名前も確認できる。

② 足立家は東長崎で9代続く地主・家主として紹介され、現在は「東長崎ぐらし」を通じて古い不動産を街の新しい場所へ再生している。

③ 借地が目立つ背景は、農村だった土地に鉄道が通り、関東大震災後に住宅地化が加速し、旧地主が土地を売却せず貸地・貸家として活用してきた歴史が重なったもの。

④ アトリエ村やトキワ荘は、「借地だから生まれた」と単純化はできないが、安価な借家が若い創作者を受け入れた長崎地区の文化史と深く結びついている。

東長崎・南長崎を歩くときは、建物だけでなく「この土地は、昔どう使われていたんだろう?」という目線で見てみてください。いつもの住宅街が、農村・貸地・アトリエ・マンガ・カフェへとつながる街の歴史に見えてきます。

参考にした主な資料

足立家・東長崎ぐらし

岩崎家・アイテラス

東長崎・長崎地区の都市化と文化

※「2大巨頭」は地域の特徴を分かりやすく表現するための記事上の呼び方です。個人の資産額・現在の土地所有範囲など、公開資料で確認できない情報は扱っていません。
※借地権には普通借地権・定期借地権など複数の形があり、権利内容・期間・費用は契約ごとに異なります。記事中の国土交通省資料は、借地住宅の特徴を知るための参考として掲載しています。

掲載画像のライセンス
・東長崎駅から江古田方面の写真:CC0 1.0(Wikimedia Commons / Asanagi)
・1923年関東大震災後の東京駅前写真:Public Domain(Wikimedia Commons)
※どちらも商用利用を含む再利用が可能な条件を確認した画像です。

スポンサーリンク

食べ歩きランキングもチェック

人気ブログランキング

関東食べ歩きランキング

関東食べ歩きランキングを見る

ピックアップ記事
おすすめの記事